Fire

児玉清の「スペシャル東京」1993

日本テレビ取材


1993年9月19日
すでに10年も前の話となってしまいましたが、燻製小屋を建ててから一年ほど経って、地元観光協会からの紹介でテレビ取材がありました。 この番組はすでにありませんが、俳優の児玉清さんがメインのレポーターで土曜日の一時間番組でした。


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当日の朝は5時起床。現場に駆けつける。
すでに漬け込んであったスペアリブ、ジャーキー用の豚モモ等10kg以上を吊るすには一時間は掛かる。 遊び仲間も順次到着して自分で漬けたイカやタコ等を広げる。  ここでの決まりは各自が自分の味付けで仕込みをし、それを小屋に一緒に吊るして同じ条件でスモークし、出来上がりをみんなで楽しむ事になっている。

6時半ごろ、まだ小屋の前でみんながてんてこ舞いしている時に、早くも撮影隊が8人ほどワゴン車で到着。  あらかた吊るし終わった小屋の中は漬け込み汁のニンニクやショウガ、醤油の入り混じった匂いがプンプンしている。





薪ストーブに火入れするところを撮り終えると撮影隊は一旦退場し、別の撮影現場へと向かった。  やれやれ、これでゆっくりとビールが飲める。 午後は予定の通りに1時きっかりに戻ってきた。時間には正確だな。
今度はもう一台、黒のハイヤーが同行していた。本日の主役、児玉清氏のお出ましだ。

挨拶して、はて? 児玉さんはこんなに身長が高かったのか? 180cm近くありそうだ。 
ストーリーでは道をふらっと歩いていた児玉さんがたまたま小屋の前を通りかかった事になるらしい。
「おや?大勢集まって何かやっているぞ。何でしょうか?行ってみる事にしましょう。」かな?
さて、打ち合わせも終わり、本番。

児玉さん、開口一番。
「なぜ、燻製なのですか?」と、来た。 まさに単刀直入。
こちらも予想していた質問とは言え、いきなりなのでどう答えようかと戸惑い、締まらない答えをする。 しかし、そこはさすがに役者。 うまく話を繋げてくれた。  実は出来上がったものを見せながら話をすれば簡単だと思っていたのだが、敵の作戦は違った。 小屋の扉はまだ開けないでくれと言う。

ひとしきり説明をした後でようやっと扉を開ける。 小屋の中から熱気とうまそうな匂いが出てくる。 褐色に色づいたスペアリブからは脂がポタポタと滴り落ちている。
撮影隊からため息がもれる。「どうだい。 見てみい。 これが俺らの燻製さ。」温燻と熱燻の違いなど、結構熱心に質問が続く。

さて試食をどうぞ。
スペアリブを口に入れた児玉さんの顔がほころぶ。 やった!
撮影が始まってから後ろの方で偉そうに椅子に座っているだけだったディレクター氏に向かって児玉さんが叫ぶ。

「お前、これを食ってみろ! 俺が演技でうまそうに食っていると思っているんだろ?」
好き嫌いが激しい人らしい若いディレクター氏、前に出てきて「こりゃ。うまい。」と、言いながらあれこれと口に運び、「さっきあんなに昼飯を食わなきゃ良かった。」と、悔しがる。 何でもうどん屋で二人分食べてきたらしい。

ビールを飲んですっかりくつろいだ児玉さん、カメラに向かい
「この味はテレビでは伝えられないよ。」とニコリ。 撮影は終始和やかな雰囲気で終わった。
初めての取材で結構、気を使って疲れたが充実した一日だった。



初めての事で取材の時には何とも思わなかったが、児玉清氏はこの取材ををほとんど仕切っていた。 薪ストーブの使い方について
「ストーブの中にチップを入れて燻らせている人が多いが、ここではストーブは完全燃焼させ、その煙は煙突から全部出してしまいます。 ストーブは熱源としてのみ使用し、チップは入れ物に入れてストーブの上に置きます。」と、説明した。

すると児玉さん、ディレクターに向かって「この違いが大事だぞ。しっかり撮っておけ。」と、指示していた。  その後、何度か何かしらの取材に参加したことがあるが、レポーターがディレクターに指示しているのは見たことが無い。 さすがは大物!

放映は10月2日だった。 番組の内容は奥多摩町、檜原村も含め東京の奥座敷が総出演。 猿が出て悪さをするとか、山奥の徒歩で登る一軒宿とか盛り沢山。
我々の燻製は取材の多くが編集カットされていたが1時間番組で4分間の出演は予想よりも長かった。

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